canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

1ヶ月ブログを書き続けて気づいた2つのこと。

その1。自分にとって、書くことは素の自分と向き合う重要な時間である。
その2。毎日何かを書こうとすると、思考の深まりが足りず中途半端なものになる。

 

書くこと自体は、思ったよりは全然辛くありませんでした。
実は自分は中学生くらいからブログは書いていて、今でも2005年〜2012年のブログはネット上に残っているのです。
当時高校生だった自分が書いた文章を読むのは苦行に等しいものですが、それでも1年生の時の体育祭の思い出とか、受験前後の頑張りとか、そういうものが生々しく残っているのは非常に面白いものです。
本当の黒歴史なので、どこにも出せないですけれど。

 

そういう意味で、将来から振り返った時の思い出として日々書き連ねることは悪くないかもしれません。
ただ、もはや日々何かを書いたとしても、結局扱っているテーマや書きたいことはそれほど広がりません。
とするならば、本当に自分と向き合う必要のある問題に対して、相応の時間をかけて考えたこと。
これを記す場としてブログを活用して、後から振り返った際の自分の思考の変遷を辿れるようにしておくこと。
これが自分にとっての何かを書き残しておく意味なのかな、と改めて思いました。

 

ただ、気づいたことに対する反省もありまして、まず1番目については「いかに自分が普段仮面を被って生活しているか」ということがとてもよくわかりました。
誰しもTPOに合わせた振る舞いをするわけですが、それでももう少し素を混ぜておかないから「なんか取っつきにくい人だと思ってました」とか言われてしまうわけです。
別に威厳を出す必要がある年齢でも立場でもないし、もう少し心を開いていただけるように過ごすべきだな、と思いました。

 

2番目に関しては、自分が思考をどのように深めているかを客観的に見たときに、無駄が多いなという気づきです。
ストレングスファインダーをやると、内省・学習欲・収集心が上位に来ます。
つまり、新しいことを調べて考えることは、自分にとって最高のご褒美なのです。
そのため、情報を調べすぎるという無駄が発生します。
それ自体が楽しいので良いといえば良いのですが、限られた時間で何かを書こうとするなら、もう少し事前にテーマを定めて、それに必要な情報に対する感度を高める方が良いな、と思ったのでした。

 

さて、ブログチャレンジも残す所あと1日となりました。
明日書くテーマはもう決めているので、それに従ってばーっと思考を走らせようと思います。
それでは、引き続きおつきあいくださいませ。