canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

その人生に意志はあるか。目的はあるか。戦略はあるか。

最近、ユニリーバ資生堂マーケティングに携わられている方が書いた『なぜ「戦略」で差がつくのか。』という本が出版された。
読んでいるととても面白い。
戦略とは「目的」に対していかに「資源」を効率的に使うかという、その手法のことだという。
戦略の良し悪しで、マーケティング施策の成果は何倍にも何十倍にも変わる。

 

ふむふむ、と読み進めているうちに、ふと考えた。
これは、人生に対しても同じなんじゃないか。
戦略のない人生よりは、戦略のある人生の方が有意義に過ごせそうだ。
今、自分の人生に、戦略は無い。
そもそも、自分の人生に明確な目的もない。
当然、人生に対してどんな資源が必要かも分からない……。

 

すぐにAmazonで「人生戦略」で検索した。
100件以上がヒットし、うさん臭そうな自己啓発本のようなものからあまり関係なさそうな三国志の本まで、色々と出てきた。
書評サイトや個人ブログを活用し、その中でも有益そうに思われた『史上最強の人生戦略マニュアル』という本を購入した。

 

タイトルのあやしさに反して、これはなかなか良い本だった。
「今すぐ自分という資源に投資せよ」というだけでなく、そのために必要な問いかけやフレームワークも整理されている。
「自分を自分の管理者と考えた場合、その人を雇い続けたいか」という問いは、様々な場面で有用だと思う。

 

これで人生について必要な戦略を一定理解した。
自分という資源を高める方法も何となく分かった。
しかし、まだ分かっていない問題がある。
果たして自分の目的とは何か?自分の意志が向いている先は、一体どこなのか?
というか、この問題、就職活動以来ずっと囚われている問いじゃないか……?
さすがに、5年以上同じ問題に関わりながら解決できないのはおかしい。
根本的に、関わり方を変えるべきではないだろうか。

 

ふと周りを見てみると、意外と多くの人が自分の現状に満足しているように見える。
少なくとも、不満足であればそれを解消しようと努力しているように見える。
(もちろん、一方では現状に押し潰されそうになっている人もいる。)

 

彼ら・彼女らと自分(や現状に押し潰されそうになっている人たち)の違いはなんだろう。
映画や演劇を見て感動したり、週末に自分のやりたいことに打ち込んだりしたことを楽しそうに話している人たち。
その人たちの話を聞きながら「最近何で心動かされたっけ?」と思う自分。
さて、自分はどうしてこんなにも生活に没頭できないのか。

 

ここでも自分は、本に頼った。
去年大いにバズったとあるブログで紹介されている『アウトサイダー』という本。
「日常生活に埋もれて窒息しそうになる時に読むと、本気で人生が変わると思う。」という言葉につられて読んでみた。

 

結果、自分は「準アウトサイダー」であることを理解した。
何事も、名前がつくと理解がしやすくなるものだ。
アウトサイダー」は群衆を見て「自分は彼らとは違う、高みを目指す存在である」ことを目指す。
それに成功することは稀で、だいたい現実に取り込まれるか、現実と折り合いがつかず発狂したり自殺もしたりする。
それでも、その人生には強い意志と崇高な目的がある。

 

ちなみに「準アウトサイダー」は半端者である。
日常に没頭する人を「人生に向き合ってない」と感じながら、一方で自分から人生を変えることはしない。
「俺が動くのは気力と体力が充実し出来る見込みができてからだ」と思っている。
うん、非常に格好悪い。
堅実的な生活者の方が、何倍も人間ができている。
と頭では分かっていても、感情や身体は彼らと一緒になることを拒む。
非常に厄介な性質だと思う。

 

この本には、アウトサイダーとして人生を充実させる答えは書いていない。
ただ、それを得るために必要なことは書いてある。
自分自身を知ること、そのために自己表現をすること、現実に生きることの3つである。
最近自分に必要だと思いながら、その難しさに途方に暮れていたことたちだ。
この本を読んだだけで人生が変わるなら、その人はよほど行動力に溢れているか、苦悩の量が足りなかったんじゃないかと思う。

 

それはさておき、問題は一周して改めて目の前に突き付けられた。
・自分自身の望みや目的は何か。
・何を意図して、誰に向かって自己表現を行うのか。
・現実的にどうやってそれらを実現するのか。
どれもこれも、目を背けたくなるような問いだ。
しかし、向き合わなければ今後の人生、ずっと同じ苦しみを味わい続けることになる。
それは分かっている。厄介なことに。

 

就職活動をしていたときに、よく思っていたことがある。
人生がRPGみたいに、ラスボスが誰で、どこにいるか分かっていたらいいのに。
あるいは、自分のレベルを上げればより強い敵が出てきて、それを繰り返していればどこかに辿りつければいいのに。
今にして思えばあまりにも幼稚な考えだけれど、今でも時々そう思ってしまう。

 

そしてまた、倒すべき敵を自分で見つけ、そのために自分を磨き、倒せたり倒せなかったりするのであれば。
いっそ「敵なんて見つけず今のまま生きていてもいいのでは」とも思ってしまう。
それを選べないのは「きっとそれはダメな選択肢だ」と分かっているからだろう。

 

生活に没頭できず、物事に酔えない人間。
そんな人はたくさんいると思うけれど、そのままではマズイと気づいた責任として、少しずつでも前進していける人にならないと。
……それにしても、意志がないときはどうしたら湧き上がってくるものなのやら。