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現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

【シン・ゴジラ観覧記】ゴジラを乗り越える力を持った人類に、核兵器のない世界を作る力はあるか

話題のシン・ゴジラを観てきました。思っていたよりは自分の中で盛り上がり切れなかったのですが、面白い発想を与えてくれた映画でした。

例えば観ている間、「優れた個体の進化でさえ、人類というものは努力と知恵とコミュニケーションで乗り越えてしまうものだなぁ」などと思っていました。

作中でも、ゴジラが進化するより、科学的に原因を解明して対策を打ち立てて想定しうるケースを考え尽くす人間の方が、速いスピードで進化していますよね。未確認生命体を名前をつけて物理法則に従わせて、あまつさえ「生きているなら殺せる」とかみんな平気で言っていますし。

人類ってあれですかね。極悪非道の権化か何かなんですかね。
途中から主人公たちの目的、「ゴジラを倒すこと」じゃなくて「東京に核兵器を落とさせないこと」ですしね。むしろゴジラを外交の材料にして、ちゃっかり国際社会と関係づくりしてますし。
宇宙人とか発見しても外交してそうだな、人類。

冗談はさておいて。自分として「面白かった発想」を、忘れないうちに簡単に残しておこうと思います。ここから少しだけ真面目な話。

1.善く敗るる者は亡びずという言葉。
2.核兵器か凍結か。すなわち覇道か王道か。
3.ゴジラを乗り越える力を持った人類に、核兵器のない世界を作る力はあるか。

以下、1つずつ簡単に書いていきます。

1.善く敗るる者は亡びずという言葉。
今回のゴジラを観終わって、まずたどり着いた言葉はこれでした。
漢書」の「刑法志」に出てくる言葉ですが、知っている人は恐らく、北村薫さんの『鷺と雪』という小説で読んでいるはず。
この言葉は、下記の言葉に続きます。

「善く師する者は陳せず」「善く陳する者は戦わず」「善く戦う者は敗れず」

解説としては「うまく軍を動かす者なら、布陣せずにことを解決する。しかし、その才がなく敵と対峙することになっても、うまく陣を敷ければ、それだけでことを解決できる。さらに、その才がなく実践となっても、うまく戦えば負けない」ということ。

それでは、うまく負ける者は?ということで、最初の「善く敗るる者は亡びず」という言葉につながります。うまく負ければ、亡びないんです。
うまく負ければ根絶やしにされない。生き続けていける。

ゴジラと3回戦ったうち、人間は2回とも、とてもうまく負けていました。
ゴジラの生物学的な情報にも気づいたし、対策本部も立てたし、意思決定の出来ない首脳陣はいなくなったし、何より日本全国の人がゴジラを倒すという目的に賛同できる空気ができた。
これでゴジラの生物としての構造に何も気づけなかったり、首脳陣が居座ってあのまま対応の遅れが続いていたら、きっと3回目も勝てなかったでしょう。

そしてもし4回も5回も負けていたら、おそらくうまくない負け方をしていたでしょう。責任問題で人間同士争い合ったり、ゴジラを神格化して喜ぶ集団も出てくるかもしれない。
心を鼓舞し、全員で協力できるように負けたこと。絶望せず、希望につながる敗北であったこと。
これ以上に勝ちにつながる出来事はなく、だから東京は亡びなかった。たとえ、亡びる原因がゴジラではなく、人の手でつくられた核兵器だとしても。
そんな風に感じました。

2.核兵器か凍結か。すなわち覇道か王道か。
ゴジラ以外の登場人物の名前をほとんど覚えていないんですが、泉さんだけは覚えました。なぜなら、彼の言った「自国の利益のために他国を利用するのは覇道です。我々は王道の国です」といった趣旨の言葉が、非常に心に残ったからです。

核兵器で問答無用に焼き尽くすというのは、非常に分かりやすい話です。登場人物が言っていたように「全世界からの同情を得て、復興への協力ももらい、1から東京を作る」ための財源も人員も確保できるはずです。
つまり、焼け野原の先には経済成長と復興があり、逆に言うとそれだけしかありません。第二の高度経済成長期を謳歌できる可能性もありますが、果たしてそれを望んでいる日本人が、いったいどれだけいるものか。

一方で、主人公たちが選んだのは「凍結したゴジラとの共存」でした。
これ、よくよく考えると非常に恐ろしい話だと思いませんか。自分たちを殺した、脅威でしかない存在が傍らにありながら、それと一緒に生きていこうって言っているんですから。
無差別殺人犯と、隣人同士で生きていけますか。

でも、日本人や災害の多い地域の人たちは、ずっとそのように生きているんですよね。ずっと昔からそうでした。東日本大震災の後だってそうです。あれだけの辛い現実があって、それでも海や地域と一緒に生きている人は、本当に凄いと思います。

覇道には矛盾がありません。強い者が勝ち、弱い者が負ける。非常にシンプルな世界観です。
一方王道は、大きな矛盾を抱えています。強い者も弱い者も、力を合わせなければ生きていけない。1番偉い人が1番卑しい人民のことを考えなければ、国は成り立たない。

けれどもそもそも人間は、矛盾を抱えた生き物だと言います。それは個人と社会性の隔たりであったり快と不快の狭間であったり色々な言い方が出来るでしょうが、いずれにしても王道は、矛盾を抱えた人間が矛盾を抱えた国を作って、それでも何とかやっていく世界です。

シンプルな世界の方が誰も彼もが生きやすい。そんな幻想も、少しずつ壊れ始めています。
自由な個人が理性の力で市民社会を形成する。そんな思想も、だんだん辛くなってきています。
そうした中で、凍結したゴジラと共存する。そんな社会はすでに存在しているかもしれません。

3.ゴジラを乗り越える力を持った人類に、核兵器のない世界を作る力はあるか。
上の方にも書きましたが、主人公たちが怯えたのはゴジラではなく、ゴジラを倒すために関東を犠牲にして落とされる核兵器でした。核兵器がなければ、もっと悠長に構えてゴジラと戦っていたと思います。

凍結さえさせれば、ゴジラとは共存できる。では、核兵器とは共存できるか。
抑止力として持ち合っている現在は、何とかぎりぎり、共存できているんでしょう。
ですが、有事の際にはそれが使えるという現状は、所有者と非所有者の共存ではなく、隷属だと言えるでしょう。まさに覇道的な、強弱の世界の話です。

これは全く論理的ではないのですが、今時点では、「人類には核兵器のない世界を作る力は無い」と思います。そうするメリットも今のところないし、核兵器を無くしたところで戦争はなくなりません。

核兵器さえあれば、現実にゴジラが現れても(同じスペックであれば)安心です。
最悪、その地に数十年人が住めなくなるだけで、人類が亡びることはありません。90%以上の人類にとっては、遠い地での悲しいけれど仕方ない出来事にしかならないでしょう。

ですが、それは「うまく戦う」ことなのでしょうか。「負けないこと」と「うまく戦うこと」は、果たしてどのぐらい違うことなのでしょうか。その勝利の果てに残るものは、いったい何なのでしょうか。

歴史上、勝ち続けた国や組織、個人というものはありません。
栄枯盛衰、勝ち続ければ驕りも生じ、一族郎党亡ぼされることも特殊な例ではありません。戦いに勝てば勝つほど、負けた時の反動は大きいものとなります。
だからと言って、下手に負けてしまえば、それはそれで一度で社会や人生から退場することもあるでしょう。勝つのも負けるのも、非常に難しいことです。だからこそ、戦わずして目的を達成することが一番の上策であり、それこそが戦略です。

話が脱線しました。
いずれにしても、ゴジラ核兵器ほど破滅的ではなく、人類の対策速度以上に進化が速いわけでも狡猾な策を練ってくるわけでもありませんでした。結果的には凍結され、一旦は無力化されてしまいました。
ここから王道が始まるのか、覇道がこれからも続くのか。
そんな風に色々なテーマを読み取れる「シン・ゴジラ」という映画は、やっぱり良い作品だったのかもしれません。


あ、ちなみに、観てて1番燃えたのはJR各車両が突っ込んでいくとこでした。あのシーンのジオラマフィギュアとか出たら、ちょっと欲しい。