canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

打ち上げ花火、その本質は 音か光か

アニメ映画、オリジナルかと思ったら原作があったんですね。

世の中には知らないことがいっぱいです。


さて、昨晩は近くで行われていた打ち上げ花火を見に行きました。

会場まで行こうかどうしようか……と迷っていたところ、途中の橋に小さな人だかりができていて、高い建物もなくとても綺麗に見えたので、縁石に座ってゆっくりと見ていました。


自分は花火を見ていると幸せな気持ちになるのですが、その本質は音にあると思っています。

よりきちんと言うと、太鼓やベースのような、身体に響く波の圧力と言いましょうか。

感動することを「心が震える」と言いますが、まさに花火の重低音は身体と心を直接震わせにかかるものだと思うのです。


ただ、ふと思うのは、とは言えあの色鮮やかな光が無ければ、花火はもはや空胞でしかないよな、ということです。

花火の構成要素として音と光、どっちが大事だろう?と考えましたが、30秒で「光」と答えが出ました。

では、花火の本質は光なのだろうか……?


たしかに「月に叢雲花に風」という言葉があるように、目で楽しむ文化はそこかしこに見られます。

しかし一方で、鹿おどしや「岩にしみ入る」の俳句のように、耳で楽しむ豊かな感受性も持っています。


ある文化に対して「分かりづらい」というのは致命的な評価です。

分かりづらいものを理解するだけの余裕を持たない時代にあって、それは「存在しない」ことと同義になってしまうからです。


しかし、幽玄や妙と言うような「何とも表現し切れないが確かに優れているし心にしみ入る」という体験があることもまた事実です。

それは決して言葉では言い尽くせず分かりづらいですが、個々人のより深い部分に残ります。


海外の花火は、音楽に合わせて花火が打ち上がり、まさに音と光のアートのようになっているようです。

実際に見てみたら、それはそれは素晴らしく、楽しい気持ちになるでしょう。


ただ、やはり自分の中の花火は、光の後に音の余韻を残すもの。

破裂音が四方に広がり、波のように夜空を揺らす、そんな花火なんだよなぁと思うのです。

そしてもしも願いが叶うなら、そんな分かりにくいものを新しく形にしていきたいなと、そう思うのでした。