canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

「自分の強みを知る」ことは「人生の中での仕事の位置付けを決める」ための必須科目だと思う。

仕事をする中で「自分の強みを活かす」という発想と出会うことがあります。
実は私、この言葉があまり好きではありませんでした。
おそらく、学校での試験の経験が尾を引いているのだと思います。

試験では、どんなに得意な教科でも満点は100点や200点です。
苦手な教科が足を引っ張れば、合計得点の順位はすぐに下がりますから、全部を満点に近づけることが「正解」です。
このような中で「苦手をなくす」思考法が、ぐんぐんと育まれていたのでした。

そんな自分ですが、最近では「自分の強みを活かす」という発想は現在において必須のスキルだと思うようになりました。
なぜなら、それがないと「今よりも自由な・望ましい人生」が生み出しづらくなっているからです。

ここで言う「強み」とは、その人の資質であり習慣です。
ざっくり言えば「それをやり続けるのが当然であること。他の人から見たら不思議なのに、その人にとっては普通のこと」です。
文章を1日に12時間書き続けても平気な人は、その強みを活かして作家やライターになる道を選ぶことがあるでしょう。
そしてそれは、辛くともそれなりに自由で望ましい人生のはずです。

一方で。
作家になりたい人がいた場合、戦うべき相手は上のような人たちです。
類まれな表現のセンスや独自の経験を持っていたとしても、一定量の文章を書くという行為において勝つのは難しそうです。
これは他のことでも同じで、あなたが努力して苦しい思いで事務作業をしている間に、隣の人は「淡々と作業を進める強み」を活かし、楽しくスイスイと作業を進めているかもしれません。
そんな状況で、隣の人よりもよい業績をあげることは、なかなか大変なことでしょう。

ここまでの話で「自分の強みを活かす」ことの重要性は、少しご理解いただけたと思います。
このあと、普通であれば「あなたの強みの見つけ方は」とか「強みを活かすための心構えは」とか続くのでしょうが、そこはストレングスファインダーや他のブログに譲ります。

自分が興味があるのは「なぜ強みを活かさないと生きづらい世の中になったのか」であり「そのためにどんな精神構造の変化が必要なのか」なのです。
なぜなら「強みを活かした方がよい」ことを正しく理解するには、この2点を納得する必要があると思うからです。

さて、いよいよここからが本題です。
上記2つの問いに関して、少しずつ掘り下げていきましょう。

●なぜ強みを活かさないと生きづらい世の中になったのか
結論から言うと「知識労働の時代になったから」と言えそうです。
もう少し言うと、付加価値や生産性の高さがないと、仕事として評価されない時代になったからです。
苦手なこと、弱みに属することをやっても、良いものはできないし、疲れて時間もかかります。
得意なこと、強みに属することであれば、改善方法も思いつくし、取り組んでいても楽しくすぐにできるでしょう。

逆に言えば、先ほどの作家の話と同様、そうした強みを活かしている人と戦っているうちは非常に不利のため、自分も早く強みを活かせる領域を見つけることが必要です。
これは仕事以外の話も同様で、「強み」と「それを活かす領域」はセットで考えなければなりません。
「働くのは苦手だが家庭のことは何やっていても楽しい」と、バリバリ働くのが幸せ!という相手と結婚して専業主夫になる道を選んだ男性は、きっと素敵な人生を送るでしょう。


●そのためにどんな精神構造の変化が必要なのか
2つ目の質問は少しやっかいです。
周囲を見渡すと「たいした強みとか持ってないし」や「そんなこと考えたくないし」といった人がいます。
というか、自分がそうでした。「強みを活かした方がよい人生が送れそうだぞ」と薄々感じていたにも関わらずです。

では、なぜ多くの人が「自分には強みがない」と思ってしまうのか。
それが必要だと分かったとしても「とはいえ面倒だし」と思ってしまうのか。
その鍵は、強みを活かすために必要な2つのステップにありました。

・ステップ1:自分の人生には自分で責任を持たなければいけないという確信(諦め)
人によっては当たり前のことです。
自分の人生は、他の誰によっても肩代わりしてもらえません。
ですが、実生活ではそうでもないのですよね。

困ったら誰かが助けてくれます。
お金を払えば嫌なことでも誰かがやってくれます。
難しい問題も、ネットで調べればある程度答えが出てきます。
そんな世の中で「人生に関しては自分で責任を持つのだよ」と言われても、なかなかピンときません。

それ以上に困難なのは、「自分の人生は自分で責任を持つほど重要なものなのか?」という問いです。
「生まれたからには命を大事にしなさい、この世に一人だけのあなたなんですよ」と言われたところで「何言ってんだこの人」と思う人も大勢いると思います。
望んで生まれてきたわけでもない、そもそも生きているのが辛い、未来にも希望がない。
いっそ死んでしまいたいが、それもできずに生きている。

そのような人にとって、「自分の人生に責任を持て」というのはまったく響かない言葉です。
では、なぜ同じ言葉が響く人と響かない人がいるのでしょうか?
それが、ステップ2の話です。

・ステップ2:自分を大切にできる、自己肯定感がある
自分の人生に自分で責任を持てるかどうか。
それは、自分を大切に思い、自己という存在を肯定できているかにかかっています。
自分が大事なら、自分の人生も大事なはず。
そうしたら、それをコントロールすることにも責任が生じますよね。
少なくとも、他の誰かに自分の人生の手綱を渡すことはないはずです。

そして、自分を大切にできるかは、信頼できる他者がいるかどうかにかかっています。
大切な人に大切にされたからこそ自分を大事にできますし、信頼できる人がいるからこそ、自分の存在も肯定するに値する価値を持つのですね。

しかしこれは、実は非常に難しい問題です。
なぜなら、信頼や愛着の問題は幼少期の親との関係性によって大きく左右されますし、一度信頼を築けなかった場合、大きくなって自分から他者と信頼関係を作るのは、非常に困難を伴うからです。

ここまで見てくると「自分の強みを活かす」ことがなぜある人にとっては難しく、別の人にとっては簡単かが分かります。
その人が自分の人生に責任を持っているか。自分を肯定し、他者と信頼に基づく関係を構築しようとしているかどうか。
この前提や覚悟の有無が、強みに向き合うために必要な要素だと言えるでしょう。

この問いを通じて、自分の中では「健全な自己肯定感こそが現代をよく生きるうえでの重要な概念だ」ということをより確信しました。
一方で「現代は健全な自己肯定感を持ちづらい時代だ」ということも、同じくらい確信しています。
先にあげた「他人は信頼できない。自己肯定感もない。自分の人生に責任なんて持ちたくない。いっそ死んでしまいたいが、それもできずに生きている」というのは、わりと今でも普通に思います。
周囲にも同じように考えている人が(どこまで本気かはわかりませんが)結構います。

自分も含めた彼ら・彼女らはどうしたらその精神構造から脱却できるのか。
これから大人になる人たちが自分みたいな思考に陥らないためには、世の中にどんな役割が不足しているのか。
答えは一定見えていますが、それを実現する術がまったく見えていません。
それを少しずつ明らかにしていくことが、これからの自分の1つの方向性になりそうです。