canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

「絶対に◯◯するための3つの方法」みたいなタイトルにとっくに飽きてる人たちと話してみたいこと

あなたと、あなたの周りの人たちの想像力は健全に保たれていますか?という話。

情報がこれだけ溢れて、個人の目に映る時間がどんどん短くなるWeb上で、キャッチーなタイトルやコピーが増えるのは当然のことだと思います。
ましてや、それを作る人たちはユーザーの「思い」をなんとか掴もうと努力したり、それをコンセプトやプロトタイプに落とし込んで実現したりするために、様々な努力や学習を重ねています。
自分が担当する記事や広告を、多くの人に見てもらいたい。それは当然の仕事であり、欲求でもあります。

問題は、そのようにユーザーフレンドリーなタイトルや商品が世の中に溢れれば溢れるほど、多数のユーザーの想像力が使用される機会は減り、結果的にますます「自分たちが欲しいものを考えられなくなる」ということです。

つまり、優秀な人々がよりユーザーのためを思ってが仕事をし、会社が利益を上げ、革新的な商品やサービスが出回ると、享受する側の想像力がどんどん弱くなっていくというスパイラルに陥るのです。
なぜなら、自分たちが一番欲しいものは、市場によっていつの間にか与えられてしまうからです。

表題に掲げたようなタイトルが流行っているとするならば、流行に乗るとは最先端を行くことではなく、「みんながやっている(見ている)」という免罪符を得て自分の行動に外部の保証を付け加えようとする行為になってしまいます。
外部の保証で行動するということは、個人的な思考力や想像力を捨て去ることと同じです。

そこに残るのは、孤立は怖い=みんなと一緒なら安心、という周囲の目を気にした感情だけです。

想像力を高めるということは、辛い現実に直面することでもあります。
高い希望を持てば、絶望する回数が増えるのと同じことです。
自分で扱える範囲の希望を大切にして、幸せに生きることは何ら批難されるべきことではありません。

ただし、世の中は確実に変化していきます。
そしてそれは、ほぼ間違いなく、今の安定を願う人にとって脅威となる形で起こります。
そうした世の中を、自分なりに想像すること。
その中で自分がどんな風に、誰と関わって、何をしたながら生きているかを想像すること。
その力は、何気なくfacebookTwitterをスクロールしているまさにその時に、強まったり弱まったりするのです。

情報を鵜呑みにしないだけでなく、目で追うだけで終わらせないこと。
引っかかったことがあれば、1日に数回、そのことについて考えてみること。
こうした行動の積み重ねが、健全な想像力を育む糧となるのです。

あなたと、あなたの周りの人たちの想像力は、健全ですか?