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現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

選択的夫婦別姓の議論の難しさを「昆虫食問題」で提示する〜社会通念を変えることの難しさについての考察〜

昨日、選択的夫婦別姓に関してサイボウズの青野社長が個人として国を提訴した、というニュースを見ました。

「日本の損失だ」夫婦別姓問題で国を提訴!サイボウズ社長を驚かせた弁護士の"ロジック"とは | Abema TIMES

関心がある議題だったのでこの記事や他のnoteの記事*1を読んだり、それに対するtwitterでの賛成派・反対派の意見を読むうちにその議論の難しさに驚愕するとともに、

「これは夫婦別姓だけでなく、憲法改正天皇制などの『社会通念』に関わるテーマで起きていることだ」

と感じました。

ただ、それを普通に捉えようとしても非常に分かりづらく、何かいいアイデアはないかな……と考えていたところ「昆虫食」をテーマにすることを閃きました。
というわけで、以下の項目に関して順を追って書いていきたいと思います。


1.選択的夫婦別姓に対する自分のスタンス
2.選択的夫婦別姓の賛成派・反対派の意見の概観
3.選択的夫婦別姓問題を昆虫食問題に切り替えてみる
4.社会通念に関わるテーマを適切に取り扱うために
5.まとめ


それでは、さっそく参りましょう。

■1.選択的夫婦別姓に対する自分のスタンス

最初にスタンスを明らかにした方がフェアだと思い書きますが、自分は選択的夫婦別姓(結婚した際に夫婦で一緒の姓にしてもいいし、しなくてもいい)には基本的に【賛成】の立場です。
ただ、元々は「選ぶのは個人の自由なので、今実現したとしても何も問題ないのでは」と思っていましたが、様々な意見を見る中で「将来的に必要になる制度だと思うが、実現に向けては社会的に色々な議論をする場を増やす努力をすべき」という考えに変化しています。

このため、なるべく中立の立場で書いたつもりですが、以下の文章に賛成派のバイアスがかかっているであろうことをご理解ください。
その上で「選択的夫婦別姓に賛成か反対か」ではなく「社会通念に関わるテーマをどう扱うべきか」という問題が中心であることを念頭に、この先をお読みいただければと思います。


■2.選択的夫婦別姓の賛成派・反対派の意見の概観


選択的夫婦別姓に関する議論に詳しくない方のために、各立場の主な意見をまとめました。
詳しい方は読み飛ばしていただいても大丈夫です。

▼賛成派
・改姓による各種手続きにより物理的・金銭的な損失が生じている
・姓が変わることにより、仕事上の成果や業績の連続性がなくなる(研究職の場合、旧姓で書いた論文が出てこなくなるなど)
・夫か妻の姓に統一すると言いつつ基本的に妻の側が変更する暗黙のルールのようなものがあり、男女平等の考え方に反する
・そもそも法律が未整備の状態であり、適切に整備される必要がある(今回の青野氏の提訴の主な根拠)

▼反対派
・夫婦同姓が日本の伝統であり、維持すべきものである
夫婦別姓になることで家族の絆が弱まる
・生まれてきた子どもがどちらかの姓を選択するという新たな問題が生じる
・現状の制度でうまくいっており、多少個人に損失が生じているからといって社会的な制度や法律を変えるのは単なるワガママであり、認められるものではない

もちろん上記以外にも色々なご意見がありますが、この後の話をしやすくするための導入ということで、ご容赦ください。


3.選択的夫婦別姓問題を昆虫食問題に切り替えてみる

さて、いよいよ本題です。
この選択的夫婦別姓問題を「昆虫食」に置き換えるとどのようになるのか。

仮想の「賛成派のAさん」と「反対派のBさん」の会話を見てみましょう。
※なぜか両方ヤンキーみたいになってしまいましたが、もちろん昆虫食自体の良し悪しを考えるものではなく、あくまで参考として誇張して取り上げているだけです。
そのため、昆虫食に対して偏見が含まれている可能性をご承知おきください。

〜〜〜AさんとBさんの会話〜〜〜

A「栄養もあるし食糧問題も解決できるし安く手に入るし昆虫食って素晴らしいよ!社会的に昆虫食を認めるべき!」

B「え!何言ってんの!俺は昆虫を食べるなんてイヤだよ」

A「いやいや。別に必ず昆虫を食べろって言ってるわけじゃないよ。ただ、昆虫を食べる自由を選べるようにして、って言いたいだけだよ。食べたかったら食べればいいし、そうじゃないなら食べなきゃいい」

B「そうかもしれないけど……」

A「だろ?Bは何も困らないじゃん」

B「ん、ちょっと待てよ。昆虫を食べることが認められたら、お前昆虫食うだろ?」

A「うん、食べるよ」

B「ってことはコンビニやスーパーに昆虫が並ぶかもってことだろ?嫌だよそんなの、そんなコンビニ絶対行きたくない」

A「いや、売場を分けるとか注意書きするとか、色々あるじゃん」

B「コンビニは良くても、居酒屋のお通しで昆虫が出てきたらどうすんだよ!そんなの認めねえよ」

A「それなら、居酒屋に事前に確認するとか……」

B「は?今そんなこと気にする必要ないのに、わざわざ手間かかるようになるの?ほんと迷惑なんだけど」

A「いやでも、昆虫を食べる自由はあるし地球環境にとっても良いことだし……」

B「今食べれるもので何が困るんだよ!昆虫食ってなくても困ってないだろ。自分が昆虫食べたいからって社会のルールを変えようとするとか、ほんと自分勝手だな。意味わかんないことするなよ!」

A「……」

〜〜〜決して分かり合えない二人〜〜〜

いかがでしょうか?
自分に置き換えると、選択的夫婦別姓についてはAさん(賛成)の立場ですが、昆虫食についてはBさん(反対)の立場に立つと思います。

どれだけ昆虫食が身体や環境に良いと言われても「いや、今昆虫食べなくても世の中回っているじゃないか」と思ってしまう。
なぜなら、「基本的に昆虫は食べ物ではない」「他の大多数の人も同じように思っている」「今の自然環境が10年20年で急激に壊れるわけがない」という考えが常識として、自分の中にあるからです。

もし「少数でも不利益を被っている人がいるなら、できる限り是正すべき」という考えを持っているのであれば、選択的夫婦別姓も昆虫食も両方賛成すべきです。
それが一貫した態度なはずなのに、そうではない。

では、どちらにも反対するBさんの方が一貫性があって良いのか?
次はそのことを深掘りしていきます。


4.社会通念に関わるテーマを適切に取り扱うために

ここまでで「夫婦別姓(夫婦同姓という社会通念に反する)」や「昆虫食(昆虫は普通は食べないという社会通念に反する)」に関して、賛成派と反対派の意見を見てきました。

ここで発想を転換させて「夫婦別姓や昆虫食が認められるのはどんなときか」ということを考えてみます。
すると、それは以下の3パターンに大別されることが分かります。

・然るべき手続きを経て、制度が変更されたとき
・世の中の大半が「変えた方がよい」という意見になったとき
・変えないことによる弊害を無視できなくなったとき

1番目は、今まさに青野氏が取り組んでいる手段です。
裁判所や政治家を通じて、合法的に世の中を変えようという動きです。
Aさんであれば、農水省に働きかけて昆虫食を普及させるキャンペーンを行おうとするかもしれません。

このパターンの場合、たとえ制度が変更されたとしても、Bさんの不満が強く残ります。
たとえ手続きが正当なものだったとしても、自分が認めないままに制度が変わっているわけですから、不利益を感じる気持ちは変わりません。
ましてや、裁判や政治家への働きかけなどは、社会的に一定以上のステータスが無ければ、なかなかできるものではありません。

というわけで、Aさんは賛成派の人からは感謝される一方で、反対派の人からは「金にモノを言わせて自分の良いように世の中を変えた」とか「どうせ昆虫食ビジネスで儲けるんだ」とか「世間の人の気持ちが分からないヤツ」などと言われてしまうのです。

これが「社会通念の変更に関わる注意点その1」です。
つまり、社会通念を更新しようと活動する人は、大多数の人から攻撃されるということです。
もちろん、社会に影響を与えることは生半可な気持ちでできることではなく、重要な責任が伴います。
ただ、その攻撃される姿を見て「自分も社会を良くしたいと思い活動してきたが、もはやとても耐えられない」と諦める人がいるとしたら、これは社会的な損失です。

また「攻撃されないようにうまくキャンペーンを張った人が世の中を変える可能性がある」という、フェイクニュースにもつながる別の問題点もありますが、ここでは軽く触れるだけにしておきます。

さて、次に2番目ですが、これは「世論が成熟した」と言われるです。
「世の中の人の大半が制度変更を望んでいるから、これは国としても変えた方がいいよね」という、非常に円満な形です。
Bさんが「やっぱり昆虫うまいわ。俺もコンビニで買いたい」と言っている状態でしょうか。

ただ、この状態になるには、非常に手間と時間がかかります。
また、世論が成熟するまでにAさんが被る不利益は変わりません。
Aさんがどれだけ頑張っても、Aさんが生きているうちに世論が成熟し、制度が変わる保証はありません。
これが「社会通念の変更に関わる注意点その2」です。
つまり「変わった後の社会通念がより望ましかったと分かった場合、それが分かるまでに不利益を被った人の数は想定される最大数である」ということです。

もし過半数になれば「世論が成熟した」とする場合、50:50の状態では半分の人が、制度が変わらないことによる不利益を被ってしまうのです。
(現実では昆虫が個人間で流通するなどの現象が起きると思いますが、あくまで単純化した話です。)

最後に3番目ですが、これはそのまま「社会通念の変更に関わる注意点その3」です。
つまり、制度を変えられず、世論も熟成されないまま問題に直面した場合、社会の大多数が不利益を被るということです。

もし急な異常気象により今食べている肉・魚・穀物・野菜・果物の数が急激に減少し、昆虫を食べなければならなくなったとき、世の中は大混乱に陥るでしょう。
Aさんが「だから早く制度を変えておけば」と言おうが、Bさんが「昆虫を食べれるようになっておけばよかった……」と言おうが後の祭り。
昆虫の流通や販売機能が整っていない中で対応するのは、とても難儀なことでしょう。

もちろん、そのような急激な変化はほとんど起きないかもしれません。
ただ、常識が非常識になる瞬間は、過去の歴史の中で何度も起きています。
今後で言えば、AIの発達によるシンギュラリティがそれに対応するかもしれません。

そのときに、社会としてどのように議論を深め、より望ましい方向性を目指していくのか。
この問いにきちんと取り組まない限り、時代に合ったより望ましい社会づくりは、夢のまた夢だと思うのです。
少なくともパターン3のような「準備している2割の人は成功したけれど、それ以外の8割は夢も希望もない世界になりました」という状況を避けることに対して、多くの人がもっと取り組むべきだと思うのです。


5.まとめ

以上の議論を踏まえて、社会通念の変更に関して以下3つの注意点があることが分かりました。

・社会通念を変更しようとする個人や団体は多数派から攻撃されるため、社会を大きな枠組みで良くしようという動きが制限される
・世論の成熟を待って社会通念が変わる場合、それまでに不利益を被る人の数は想定される中の最大数となる
・準備不足の段階で社会通念を変えざるを得ない問題に直面したとき、社会の大多数の人が不利益を被る

この3点から、次に考える問いは一体なんでしょうか。
個人的には、非常に稚拙ではありますが「世の中を本気で良くしたいと思う人が適切に活動や情報発信ができ、自分と異なる意見だとしてもそれを理解しようとし、互いに尊重できる場をどうやったら作り出せるか」ということに尽きると思います。

昆虫食に関して、Bさんの生理的な嫌悪感を取り去るのは容易ではありません。
Aさんが「昆虫を気持ち悪くないと思えよ!」と言っても、それは無理な話です。


ただ、Aさんがやろうとしている「食糧難が起こったとしても、安定的に、安く、健康的な食事ができるために今から準備をした方がよい」という方向性についてであれば、Bさんも協力ができるはずです。
その中で昆虫食以外の解決手段が見つかる可能性も、0ではありません。

ただし、今回の選択的夫婦別姓の議論の場合、不利益は「夫婦同姓」という仕組みから発生しており、その解決策は「旧姓のままでも変更後の姓と同じように社会的な活動ができること」になってしまいます。
ただ「そもそも今の家族や夫婦の在り方は本当に望ましいものなのか?」という大きな問いに対して「夫婦別姓になったとしても家族の絆が保たれる在り方を模索する」という方向性もあるはずです。
(青野氏は、それをスコープに入れてしまうと今回の議論の進みが遅くなるのであえて外しています。理想論だということは分かりつつ、あえて書き記しています。)

自分は政治家でも何でもないので、国がどうのと言うつもりはありません。
ただ、一人の人間としてより良い社会で暮らしていきたいと思った時に、少しでも多くの人が苦しまずに過ごせる社会になってほしいと思うのです。
ただ、それを願うには環境の変化が早すぎて人の心の方が置いていかれてしまっている、という実感もあります。

それを乗り越えるためには、どこかのタイミングで、社会として必ず大きな変化も受け入れなければなりません。
だとすれば、その変化を受け入れる土壌を社会の中に作る必要があり、3つの注意点がそのヒントになるのではないかと、そう考えたのです。

以上で、現時点での考察は終わりです。
最後までお読みいただき、有難うございました。