canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

風が吹けば、ろうそくの炎は消える。しかし、焚き火の炎は燃え上がる。

このブログで1番読まれている記事は、2015年の年末に書いたこちらの記事です。

 

幸福について本気を出しすぎて考えたら、マズローの自己実現理論を更新して世界平和を希望していた話。 - canno-shiのすこしみらいを考える

 

当時常に考えていた「幸せとは何か?」という問いに対して、自分なりに地に足のついた形で言葉にできた記事で、今でも非常に良い考えだと(自画自賛ですが)思っています。
さて、ここから1年半経って自分の考えが変わったかといえば、それほど変わってはいません。
少し言葉は変わりますが「幸せは満たされた状態が続くと確信できることである」というのは、今でも過不足のない定義だと思っています。
ただし、意見や行動は非常に大きく変わりました。

 

自分が絶対にやりたいことを「京都で暮らしながら、楽しい仕事をすること」と定め、それができる可能性が高い環境に身を置くことができています。
様々な人に話を聞き「君はもっと自分の好きなようにした方がいい」と言ってもらい、今一度自分の素をさらけ出すことを良しとしています。

 

では、なぜ自分の行動が変わったのかと言えば、常に自分が今上記の幸せの定義に即した状態にあるかを考え、違うとしたら何が必要なのかを見つめ直していたことです。
その上で、それが手に入りそうな場所にとにかく行き、多くの人に相談していたことで、自分に変化が起こったときにすぐに行動に移すことができました。

 

タイトルの言葉は、今読んでいるとある本から影響を受けたものです。
それについても近いうちに書くと思いますが、同じ刺激、同じ影響であっても、自らがろうそくなのか焚き火なのかによって及ぼす作用は全く異なります。
そして、焚き火を組むためにはろうそくに火をつけるよりも手間暇がかかります。
もしかしたら、他の人に手伝ってもらう必要もあるかもしれません。
しかし、そのイメージこそが重要なのだと、心からそう思うのです。

 

自分は昔から「すべての人が幸せになればいいのに」と、素朴に考えてきました。
今でも、そのために何かを形にしたいと強く思っています。
もちろん、1つの物事が万人に受け入れられることはありません。
それができるなら、おそらく唯一の世界宗教がすでにこの地球上に存在していることでしょう。
個々人が違うから面白いし、人類としても生きていける。
ただし、誰もが「自分なりの幸福」を求めて生きていることは間違いない。
どれだけ辛い状況にいる人でも「もう少しマシな環境に行きたい」と思っているはずだし、すでに満たされている人も「何か他に自分にできることはないか」と考えているはず。
こうした人類の様々な状況に対して、少しでも時代が前に進むための手助けができないか。

 

そんな青臭いことを考えながら、今日も自分は生きているのです。
ろうそくとしての生き方も良い。
ろうそくにも色々あるし、アロマキャンドルなら周りの人を癒すこともできるでしょう。
ただし、自分は焚き火にならないといけない。
それを囲んで多くの人が楽しみ、何かを感じるような、そんな人になりたいと思うのです。

 

そんな「頑張るよ宣言」をして、ブログ企画は終了にしたいと思います。
今後も定期的に更新していきますので、その際はぜひ、お付き合いくださいませ。