canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

終戦100周年の年を、僕らはどんな気持ちで迎えるだろう。

第二次世界大戦が終わってから、もうすぐ72年が経ちます。
8月は様々な式典がありますし、お盆もあって必然的に先祖について考える機会も増えますから、曽祖父母の生きた戦争の時代に想いを馳せることも多くなります。

 

100という数値に本質的には意味はないけれど、それでも2045年には、第二次世界大戦が1世紀前の出来事になります。
今から100年前の1917年の日本はまだ大正時代ですし、第一次世界大戦の最中で、ロシアでは革命も起きています。
あと28年後の人たちは、今の人が大正時代を思う気持ちで、昭和を思っているでしょう。

 

各地で紛争や内戦は起き続けていますから、決して戦争は過去のものとは言えません。
ただ、世界大戦ということを考えるなら、あと28年間何も起こらなければ、僕らは「100年間戦争を経験しなくて済んだ国」として喜んでいられるでしょうか。*1


東洋経済ではつい昨日、こんな記事も出ていました。

 

100年人生は「戦争くらい起きる」と考えよう | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

「不慮の事態に備えて生きる」という話と「不慮の事態が起こらないように最善を尽くす」という話は全くの別物です。
ただ、こと戦争においては、個人でできることは投票権を行使することくらいしかありません。

 

もちろん、意見を表明して仲間を集めることはできます。
ただ、もしも実際に日本にミサイルが撃ち込まれたり、第3次世界大戦が起きそうになり防衛が必要となったりした際に「戦争はやめよう!」という声がどこまで響くものか、自分には分かりません。
「参戦か被支配か」という現実を前に「戦争反対」という話だけで後者を選ぶことは、国家としては不可能でしょう。

 

現実に「戦争」という手段を選びたくなる状況になったとしても、いかにしてそれを回避するか。
それ以外の方法でなんとか片をつけるような方法を考え出すために、日頃から知恵をしぼることができるか。
そんな芯の強さを、多くの人が持つことができるか。

 

「戦争を経験しなかった国」でももちろん素晴らしいことですが、例え何かあったとしても「戦争をしない選択をした国」でありたいし、それを誇れるような未来にしていかないとと思ったのでした。*2

*1:近年の海外派遣に関して「本当に戦争を経験していないか?」というと微妙かもしれません。ただ、少なくとも2015年までは「戦闘で1弾も発射せず、テロの犠牲以外には1人の戦死者も出していない」ようです。

戦後70年、1人の戦死者も出さず黄金時代を生んだ平和主義を検証する | 田岡俊次の戦略目からウロコ | ダイヤモンド・オンライン

*2:個人的には、過去起きた戦争に今の時代の価値観で良し悪しを語るのは間違っていると思います。ただ、未来に起きる戦争については、どんな理由であれ他の選択肢が存在するはずだし、その可能性を捨てないでほしいと思っています。