canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

自分にとって「ブログを書くこと=一人の遠出」だと気づきました。

現在、大丸京都店にて新サービスの展示をしながら妻の実家に宿泊しているのですが、途端にブログが書けなくなりました。
書く時間を取るのが難しいというのもありますが、テーマが絞れないのが1番の要因です。

 

ふと、その理由が「自分の役割が増えていること」に起因しているのではないかと思ったので、それをテーマにしてみました。
自分がいかに「ブログを書いている時に役割から解放されているか」に気づくきっかけになったので、思ったことを少し整理してみようと思います。


まず、これは完全に言い訳なんですが、東京で仕事をしている時にはせいぜい2つくらいの役割しかないんですよね。
「会社で仕事をする」と「妻に対する夫である」という。

 

ただ、今は「大丸京都店のスタッフである」とか「義父に対する義理の息子である」とか普段は対応していない役割が加わっていて、うまく流れが作れていません。
普段はオフィスにいて、たまにイベント現場に立つ方はわかると思うんですが、イベント中って次の企画のような、他の物事を考えようと思っても全然進まないんですよね。
同じように、妻の実家にいるとまずご家族とコミュニケーションを取らねばと思うので、ブログのテーマを考えても思いつかなかったり、そもそも部屋にこもっていられないので書く時間も取れなくなります。

 

そんな現実を通じて、以下の2つのことに気づいたわけです。

1.自分がある役割を担っているとき、他の役割のことをするのは非常に難しい。
2.ブログを書いているとき、自分は役割から解放されている

1に関しては逆説的ですが、だから仕事ができる人は担う役割が広くなるのだなと思いました。
つまり、役割を分けてしまう(○○部長兼△△統括兼・・・)よりも1つで担う(CXO)方が、自分の役割のままで幅広いことに対応できるので、組織の力学という観点以外でも、役割が広がることに合理性があるのだなぁと思いました。

 

2に関しては自分に関する新しい発見でした。
毎日ブログを書くというチャレンジをしていますが、書けない時に「なんか息苦しい」という気持ちになるとは思いませんでした。
確かに、自分がブログを書いているときは自分に向き合っている時で、その時は周囲のことはほとんど考えていません。
それこそが自分にとっての安らぎであり、役割を手放したところにある素の姿なんだなぁと、初めて認識できました。

 

こう書くと「じゃあこれまでは何で役割を手放していたんだ」となりますが、そういえば一人で散歩に出かけたり電車に乗って遠くに行ったり、そんなことをしていました。
最近はブログを書くことが一人の遠出の役割を担っていたようで、人間、自然にバランスを取るものだと感心しました。

 

さて、まだ役割から抜けきってないので、かなり文章が怪しい感じになっています。
関東に戻ったら文章も戻ると思いますが、しばしこのような形でお付き合いくださいませ。