canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

【後編】ベーシックインカムというフィルターを通して見た5つの世界。そこには何が映るのか。

前回はベーシックインカム(BI)について、「国家、会社と市場、家族、個人、国際社会」の5つの観点から考えることを提示した。

 

【前編】ベーシックインカムというフィルターを通して見た5つの世界。そこには何が映るのか。 - canno-shiのすこしみらいを考える

 

今回は後ろの3つについて書いていくが、その前になぜこの5つについて考えようと思ったのか、簡単に補足したい。

 

まず、この2つの記事でやりたいことは「現状とBIを導入した社会を対比させ、現在を相対化し、未来を考えるきっかけを作ること」だ。
BIは非常に広範囲かつ抜本的な施策であり、最大限うまく機能すれば「誰もが幸福を掴める社会」というユートピアを実現できる可能性もある。
一方でその実現には、財源や運用方法はもちろん「誰もが働かずとも食べていける社会に対する受け入れにくさ」など、人々の心理的抵抗といった大きなハードルもある。

 

このハードルに対して、5つのレイヤーごとにBIの効果や課題点を挙げることで、現在の社会をより掴みやすくしようというのが、今回の試みである。
もちろん、ここでは扱い切れない問題や詳細まで立ち入れない課題もあるため、非常に拙い内容になってしまうことは避けられない。
ただ、ブレグマンも本文中で書いてある通り「ユートピアは、将来の展望よりも、それが想像されていた時代について多くを語る」。
ともすれば将来の見通しが立たない悲観論に囚われそうになる今の時代で、未来に何を求め得るのか。
BIという軸を立てることで、このことを深く考えていきたいと思っている。

 

では、さっそく残り3つについても見ていこう。

 

▼家族(生活を共にする最小単位)

家族の問題は、5つの中でも非常に難しいと思っている。
なぜなら、その在り方や人々の捉え方が変化しつつあるものだからだ。
様々な観点が考えられるが、その中でもここでは「子供を産む人数」と「他人との共同生活」の2つについて考えてみよう。

 

・子供を産む人数

まず、男女が結婚して子供を産むことを想像する。
BIが実現した場合、子供が生まれるたびに世帯収入が増えることになる。
1人8万円の支給額の場合、夫婦に子供が3人いれば月額40万円の収入(しかも非課税!)であるから、児童手当等がなくても生活はできそうである。

 

ここで自然に生じる疑問は「子供をどんどん産むようになって、しかもその子供は将来的に働かない可能性があるのだから、制度自体が破綻するのではないか?」というものだ。
産めば産むほど世帯収入が増えるなら、埋めるだけ産んだ方が得、という考え方である。

 

これについては「そうする人もいるだろうが、それ自体で制度が崩壊することはない」というのが、現実的な回答だと思う。
まず、数百人規模でBIを試した場合、子供の出生数が極端に増えることはなく、むしろ1人1人の教育の質を向上させる方向にお金を使うようになった、という結果がある。「働かなくても生きていける」とは言え、働いて収入をプラスすることでより良い生活ができるのだから、労働に対するモチベーションは0にはならない。
かつ、不必要な労働は無くなっていくのだから、よりその子供が得意とし、より多く稼げる仕事に就かせようというインセンティブが働く。
その結果、親が自分の子供のことをよりよく理解し、その子供が行うに値する仕事に就けるように支援するという流れが生じるだろう。
(もちろん、親にそのように子育てを行うリテラシーが必要にはなるが、親が自由に使える時間も増えているので夢物語ではないはずだ。)

 

また、人口が増えれば市場のパイが広がり、財源となる税収も増えていく。
あるいは「○人目以降は支給額が少しずつ減る」という制度を考えても良い。
「金持ちでなければ望むだけの子供は産めないということか!」という反論もありそうだが、収入に応じた暮らし向きになることは今でも同じなのだから、制度の不用意な濫用を避けるための措置としては問題がないはずだ。

 

・他人との共同生活

先ほど「男女が結婚して子供を産むことを考える」と書いた。
今後は、そうではない形の家族(生活の最小単位)が増えていくと考えられる。
例えば、いまシェアハウスにいる若者たちはあくまでも住環境の共有が主だが、BIが実現すればベースの収入を共有し、より共同体としての性格を強めることができる。
自分にやりたいことがある場合、1人で生きるよりも複数人で8万円のBIを共有しプールして管理していけば、それ自体が怪我や病気の際の保険にもなり、やりたいことに自由に打ち込める可能性が高くなる。

 

こうなった場合、「結婚や子育て」が個人の生活に対して、もはや割に合わなくなる可能性すら出てくる。
もちろん、割に合うから結婚しているわけではないだろうが、もし「結婚しなくても好きな人たちと自由に好きなことをして生きている人」が増えてくれば、結婚の重要性は薄れてしまうだろう。*1

 

▼個人

BIが個人に与える影響は、果てしなく大きいものになる。
なぜなら、これまでの生き方に対する常識や価値観を一変させる可能性があるからだ。
まったく働かない場合に生活レベルは下がるとしても、半分の労働時間でも今と同じ生活ができる可能性は十分にある。
この時、あなたは何をするだろうか。
あなたの大事な人は、どんな生き方を選択するだろうか。
世の中では何が売買され、人気となり、何にお金と時間を使っているだろうか。

 

その問いの詳細は暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)に譲るとして、1つだけ書きたいことは「世の中の変化は気がついたら起きている」ということである。
明治維新にせよシンギュラリティにせよ、大きな流れが生まれれば、個人としてそれに抗うのは難しい。
現時点でBIは「大きな流れ」とまでは言えないが、今後世界中で実験が行われる中でその有効性が証明されれば、一気に舵が切られる可能性もある。

 

人類は途方も無い年月をかけて集団生活を進歩させてきたが、その最先端の成果として「対価を払わずとも飢えない社会」を実現できる可能性が生まれている。
これを望むか望まないかを考えること自体が、自分の将来や在り方を整理することに繋がるのではないだろうか。

 

▼国際社会

ここで扱うのは、主に国内外の出入りの話である。
まず、国内に来る話としてはBI目当ての入国が考えられる。
例えば日本の国籍を持つ人だけにBIを給付するとしても、偽装結婚やBIを目的にした出産などが行われる可能性がある。
また、就業ビザなどで滞在する外国人への給料・社会保障制度・住環境などなどの扱い方については、日本人を基準に考えることができないため、非常に難しくなるだろう。

 

一方で、国外に出る話としては、企業や富裕層が考えられる。
BIの財源を確保する場合、法人税の向上や累進課税による富裕層からの徴税が増す可能性が高い。
この場合、日本よりも税金が安い国に移転・移住する選択肢は十分にありえるだろう。
(法人の場合は個人に支払う給料も減るはずなのでそこまで影響はない可能性もあるが、資産家などにとっては過ごしづらい国になる可能性がある。)

 

駆け足で書いてしまったため、かなり荒い論調になってしまった。
ただ、BIとそれに対する影響の概観はある程度整理できたのではないかと思う。
ここから世の中をどのように捉え、いかに対応していくかは個々人の決断となる。

 

近いうちに、こうした世界観をもとに自分がどのように世の中に対応しようとしているのかも書いてみたい。
それは今の自分の働き方や様々な動き方にも影響を与えているため、自分の取扱説明書のようになるだろう。
これを明文化することで、自分をより自分らしく扱う手助けになる気がしている。

 

最後に、ニーチェの言葉の中で好きなものを1つ引用して終わろうと思う。
超然とした生き方が良いとは思わないが、個人としては、彼の思想に含まれる高潔さの1%でも見習って生きていきたいものである。

 

世間にありながら、世間を超えて生きよ。
世のなかを超えて生きるとは、まずは、自分の心や情のその都度の動きによって自分があちらこちらへと動かないということだ。
情動に振り回されない、自分が自分の情動という馬をうまく乗りこなすということだともいえる。
これができるようになると、世間や時代のその都度の流れや変化に惑わされないようになる。そして、確固たる自分を持ち、強く生きることが出来るようになるのだ。

 

*1:個人的には、他人と非常に深く向き合うという替えの効かない経験ができるので、恋愛〜結婚に至る流れには価値があると思っている。