canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

【前編】ベーシックインカムというフィルターを通して見た5つの世界。そこには何が映るのか。

ブレグマンの『隷属なき道』を読み、ベーシックインカム(BI)についてどの観点から書くべきか、この2日間ずっと考えていた。

 

本を読んだりネット上にある色々な方の寄稿文やブログ、twitterのやり取りを読んだりしていると、数年間にわたりBIが検討の対象になり、物議を醸していることが分かる。
中には「BI賛成者は算数もできない、単純化した話に惑わされるバカだ」といった意見もあった。
さすがにその意見はどうかと思うが「世の中の複雑さを考慮せず単純な話に飛びつこうとしている」という指摘は一理あるようにも思う。
なぜなら、BIの考え方が驚くほど単純だからである。

 

簡単に説明しておくと、BIとは「区別も選別もなく、一律に生活に必要な最低限のお金を直接受益者に給付しよう」という施策である。
区別も選別もないので、生活保護と異なり自分の収入を証明する必要もないし、働いても金額が減ることはない。
一律のため、年金と違って未納により給付金が下がるという概念もない。
お金が直接受益者に渡されるため、その用途も特に制限もされない。

 

一言でいえば「働かずとも食べていける金額のお金を対象者(地域住民や選ばれた人、国民など)に与えよう」というものである。
これだけ単純すぎると、BIへの反対意見も様々な角度から出すことができる。

 

例えば、日本で全国民に年120万円を支給するとなると約150兆円のお金が必要になるが、その財源はどう確保するのか。(実はそこまで不可能な話でもないという試算もある。詳細は脚注*1を参照)

または、働かなくても良い社会では、労働力が減少し現在の市場規模や成長率を維持できず、制度自体が破綻するという指摘。(これも、実際はそれほど労働者は減らないという話が『隷属なき道』で紹介されている)

 

このように、もっともらしい指摘→克服できる、あるいはそこまで問題ではないという反論→実証されていないから議論にならない、という平行線が起きているのがBIの話である。
それゆえにフィンランドでBIが実施されていることは、社会実験(言葉が気に入らなければ先進的な事例)として非常に注目されているのだ。

 

さて、自分が感じているBI周辺の話を書いたわけだが、今回書きたいのはBIそのもののことではない。
タイトルにあるように「BIが実現した世界に映るもの」である。
これを整理しなければ、BIの議論は本質的な深まりが得られない。
なぜなら、実現した時のイメージが多くの人に共有されていない限り、ある人は希望的観測により過度に楽観的に肯定し、またある人は現状維持の観点から極度に悲観的に否定するからである。

 

さらに、BIはその単純さゆえに、現在の常識や価値観からすると受け入れがたい面もある。
実際、ブレグマン氏も奴隷制や女性の参政権の話を引き合いに出して「ある時は明らかにおかしいと思われていたことが、その後当たり前になることがある」ことを示している。
BIについて言えば「働かずとも食べていける」を、何の思考もなく「いいね!」と言える人はそこまで多くないはずだ。
だが、感情的に「それはおかしい」と思っているだけでは、議論は前に進まない。
なぜ当時は常識だった奴隷制が廃止されたかを考えるのと同じように、なぜ「働かないという自由を積極的に選べないのか」を考えるべきだ。

 

以下、自分が「BIを通して見た世界」を国家、企業と市場、家族(生活を共にする最小単位)、個人、国際社会の5段階に分けて記載していく。
穴のある部分や思考が及ばない部分も多いだろうが、それはぜひ指摘いただいて、この5つレイヤーで起こることをより精緻化していきたい。
それこそが、BIにまつわる議論の混乱を少しでも減らす役に立つのではないかと思う。*2

 

▼国家

いうまでもなく、国家はBIを実施する主体の最有力候補である。
地方自治体が特区を作るという可能性も0ではないが、少なくとも日本で考える限り、BIを実施するのは国だろう。

 

国家がBIを導入するメリットとしては、マクロ的に見た際の各種コストの削減がある。
『隷属なき道』でも、犯罪率や医療費の低下、教育環境の改善による将来的な社会へのリターンなど、実例を元に様々な財政的メリットがあることを示している。

 

膨大な調整や審議、選挙などを経て(ここが1番難しいのだが)BIが実現されたとして、国家が担うべき役割は大きく3つだと考えられる。
それは「財源の継続的な維持」と「制度の運用」と「施策の効果検証」だ。

 

まず、財源の維持についてはここでは深く立ち入らない。
BIはその性質上、社会保障費の簡素化(年金や生活保護、児童手当を一本化できる)も兼ねるため、現在の費用をうまく充て、いくらかの税金を上乗せすることで実現できるという試算もある。(詳細は脚注1のリンクを参照のこと)
ただし、そもそも「月いくらが妥当か?」という議論も未成熟なままで数字の辻褄だけを合わせても仕方がない。
ここでは「BIを通して世界を見る」ことが目的なので、BIは継続的に実現しうると仮定して進めさせていただく。

 

次に制度の運用である。
実は、ここに1番のコスト的なメリットがあると考える人もいる。
なぜなら、年金・生活保護・児童手当・失業給付などなど、各種支援施策を行うにはそれぞれ異なる団体や仕組みが必要だが、これらを全てBIに一本化できれば担当する組織は1つのみでよくなる。
また、BIは対象者を選別しないし条件もないから、書類による審査や定期的なチェックも必要なく、その運用は実にシンプルだ。
これならBIの運用に関わる人の数は限定的でよく、非常にスマートに運用ができる施策となる。


ただし、波頭亮氏が2011年時点で指摘しているように、こうした簡素化は官僚制と非常に相性が悪い。
そのためにBIが導入されないとは思わないが、反対意見が噴出するのは避けられないだろう。

 

最後に、施策の効果検証について。
これは統計の話になるが、統計は恣意性が高いものでもある。
『隷属なき道』のニクソン大統領の例でも出ていたように、もしBIに反対する者がその統計を担った場合、あるいは政権が変わり100兆円近いBIの財源を他の施策に使いたいと思った場合、「BIには効果がなかった」という報告書が出てくる可能性は避けられない。
そういう意味では、この検証は国ではなく第三者機関が行うべきかもしれないが、そこまで大規模な調査を国以外が行うことは現実的ではないだろう。

 

▼企業と市場

企業によって、BIに対する反応は様々なはずだ。
まず、BIによって人々は会社を辞めやすくなり、企業もまた従業員を解雇しやすくなる。
これにより労働市場は活性化するが、そこで求められる仕事は「自分が行うに値する仕事」だけになる。
最低限の生活が現金で保証される以上、人々はやる意義が感じられない、不当に勤労条件が悪い仕事を選ばなくなる。
結果として、過労死やストレスによる体調不良(保険料の増加)の問題が解決に向かい、世の中には「意義のある仕事や会社」だけが残る可能性がある。

 

一方で「社会的に重要だがきつい仕事」の扱いが難しくなる。
例えば公共性の高い仕事(ごみ収集・処分、遺体処理、清掃など)や労働環境が厳しい仕事(介護、教師など)である。
この場合、これらの仕事の給料を上げるか、意欲のある個人に期待するしか、BI実施下でその職務を全うしてもらうことはできない、

 

だが、例えばニューヨーク市でごみ収集の担当者が誇りを持ち、かつ高給で働いているように、本来的には社会の存続や成長に繋がる仕事に高い給料が払われるべきだ。
ある意味では、BIの実現によって仕事と給料のバランスが適正になる可能性だってあるのだ。

 

あるいは、ある産業に人が集まらないことでAI・ロボット化が一気に進むことも考えられる。
「AIが仕事を奪う」という話もあるが、BIが実現していれば何も困ることはない。
機械が作る安い製品を、毎月支給されるお金で買って生活し、空いた時間で少し小遣い稼ぎをして、あとは好きなことをして過ごす。
そうした世界がより早く実現するという循環すら、BIの実施により起こりうるのだ。

 

また、市場という観点で言うと、BIには消費を促す力がある。
毎月定期的に入ってくるお金は、生活費や娯楽費や教育費など、あらゆる場面で使用される。
BIの財源は税金だから、富の再分配の効果が高く期待できる。
結果、少子化が進み消費が冷え込んでいるというトレンドにおいても、一定量内需を確保し続けることができる。
企業がいくら生産をしサービスを提供しても、購入する消費者が市場にいなければ全てが無駄である。
BIは、良質な消費者を安定的に市場に供給するという意味でも、前向きな効果を発揮するだろう。

 

さて、残る3つは「家族、個人、国際社会」だが、今日のところは一度ここで切ろうと思う。
おそらく、この3つについて語るにはこれまでと同じだけの文量が必要だ。
書く方も読む方も、それは少し辛いというものだ。

 

ここまでで、BIやそれを取り巻く世界について少しでも視野が広がってくれていると嬉しい。
そして、そこから現在の自分や社会を見たときに、何に手を加えるべきで何は残すべきなのか。
そういったことを考えるきっかけになるよう、後編も書き散らしていきたいと思う。

 

*1:ベーシック・インカム(その2)

*2:専門家でもない一個人のブログなので、そこまで役に立つとも思えないが、整理して悪いこともないと信じて書く。