隷属への道と隷属なき道
前者はハイエクであり、後者がブレグマン。
解説で「ハイエクを本歌取りした」とあるが、原題の『Utopia for realists(現実主義者のための理想郷)』の方が当然ながら内容に即している。
ちなみに、ベーシックインカムの話は筆者の主張の軸ではあるものの一部で語られるだけで、AIに至ってはほとんど話として出てこない。
それでも、この本は間違いなく今年に入って読んだ中で1番面白い本だった。
ベーシックインカムというか、この本を中心としてきちんと書くのは明日にしようと思う。
読んだ後、他の色んな本を参照したくなり、ネットでも様々調べていた結果、考えをまとめるどころの話ではなくなってしまった。
この本自体は物凄く有益とは言えないが、社会保障や働き方など様々な領域に誘うポイントが散りばめられている。
不思議な本だと思う。
さしあたって今日、インプットをした直後として書き残しておきたいのは「人が自分の考えを改めたり点検したりするのはとても難しい」ということだ。
何かを批判するためには、その対象とは異なる意見や価値観が必要になる。
例えそれが「私はそう思わない」でも最悪構わない(時と場合による)が、いわゆる常識というものは、この「異なる意見」が存在しないことが問題となる。
「常識を疑え」というのが常識となりつつあるる中で、何かを疑うだけではもはや価値がない。
自分なりに何かをしたいと思う人にとって重要なのは「自分なりのアイデアを出せ」であり「そのアイデアを磨き続けろ」であり「それを実現すべく従って行動せよ」である。
やっている人はやっているし、やっていない人はやっていない。ただそれだけのことである。
では、なぜある人はやっていて別の人はやっていないかといえば、たまたま機会に恵まれたり、近くにそれを実際にやっていたり後押ししてくれる人がいたりするからであって、個々人の能力は二の次のように思う。
つまり、たまたま見知ったことで人はできていると言える。
ベーシックインカムという概念も、現時点では世界の常識ではない。
フィンランドではすでに実現しているが、それはアメリカで銃が合法だというのと変わらない。
ただ、自分がそれについて書くことで、たまたまベーシックインカムやそれにまつわる事象を知って、自分の中にない考えに触れたり、すでにあるものを再検討してもらえるのなら、それはとても嬉しいことだと思う。
結局、世の中を面白くするのは新しいアイデアが提示されたとき、それに変な人たちが群がって形にしていく、その動きそのものだ。
とするなら、自分が一度でもいいから、生きているうちにそのアイデアを提示していきたいと願うのも、また道理ではなかろうか。