canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

気軽にシェアできない体験を作るということ

最近「フォトジェニック」然り「バズる」然り、個人・企業問わずSNSでのシェア(とそれに付随する「いいね!」)を最大化することを目的に沢山の施策が行われています。
 
それはそれで大事なことで、誰にも知られずに終わるくらいなら、多くの人に知ってもらうためにSNSを活用するのは当然だと思います。
(だからといって、炎上や虚言を意図的にやるのは道徳的に良くないと思いますが……。)
 
一方で、最近強く思うのは「本当に素晴らしい体験をしたのなら、それは気軽にシェアしたくないと思うのでは?」ということです。
「1番のオススメのお店は教えたくない」という心理が近いでしょうか。
 
気軽にシェアできる話題というのは、誰もが共感できる一般性の高いものです。
一方で、本当に自分にとって大事な経験をした場合、その物事自体を公にシェアするかと言えば、そうではないと思うのです。
なぜならその経験は、その人個人に深く紐付いた独自性の高いものであり、他人と共感したり分かち合ったりするのが難しいものだと分かってしまっているからです。
 
ただし、個人で楽しむばかりで客層が広がらないと、人気や利益が出ずに続かなくなるというジレンマもあります。
そのジレンマを乗り越えて「特別な経験を提供しつつ、確実に客層を広げて、しかも質は落ちない」ために何ができるのか。
それを実現しうるとしたら、それは一体どんな施策なのか。
そんなことを、最近はよく考えています。
 
1つ考えているのは、これまで書いてきたことと反する部分もあるのですが「特別な経験を何とかして届けようとすること」がその答えの一部なのでは、ということです。
 
分かり合えないものを分かち合おうとすること。
自分の中にある、とても大事だけれど表現できないものを、なんとか言葉やイラストや、その他の表現に乗せて伝えようとすること。
そうした行為の積み重ねが、深いところでの共感を生み出しうると思うのです。
 
ここまで考えてみると、つまるところ重要なのは「いかに自分なりの深い体験をするか」だと言えそうです。
この点については「五感の重要さ」というテーマで後日また深掘りしますので、どうぞお楽しみに。