canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

「正直者はバカを見る」という言葉は、強いけれども嫌いです。

突然ですが、私は小さい頃から「正直者はバカを見る」という言葉が嫌いです。
嘘をつくと疑心暗鬼が生まれてコミュニケーションコストが上がりますし、誰かに騙されれば次は誰かを騙そうと思って騙しの連鎖が生まれるし、悪いことをしている人が得をする世界は間違っている!と心から思います。

 

ただ、これは初日に書いた「ルール違反をした方が強い」と同じ話です。
誰もが正直な世界なら、嘘をついた人が1番得をします。
そもそも情報格差があるところには富の源泉がありますから、相手に与える最適な情報量は「自分が望むことをやってくれる最低限の量」となってしまいます。

 

もちろん今は話が違う場面もあって、1つの目標を目指す組織の場合、できる限り全員に多くの情報を渡し、独自で考えて行動できる人が多い方が強くなる、ということもあります。
ただ、それも同じ組織=互いに目的や利益を共有している場合であって、互いの信頼感に加えてインセンティブが近いところにないと機能しないでしょう。

 

嘘をつくことも、誰かを傷つけることも、人を人と思わない扱いをすることも、それ自体の良し悪しは判断できません。*1
ただ、少なくとも自分はそういう人になりたくないし、そうではない人と関わっていきたいと思うのです。

 

そんなわけで、色々な人と会って自分の中の人物データベースを、できるだけ多様にすることを心がけています。
その意味では、一時期人事の採用の仕事ができたことは幸運でした。
転職というその人の人生の大事な局面で、真偽を織り交ぜながら話す多くの人と触れ合うことができたからです。

 

経験値的には全く少ないですが、それでも第一印象の精度を上げて、「この人は信頼できそう」とか「もうちょっと話してみよう」といった直感力を大切にすることを心がけて来ました。
だいたいにおいて、思考以前の感覚は正しいことが多いのです。

 

とはいえ「本当は相手が何でも正直に話してくれれば楽なのに」とは、今でもたまに思います。
「すぐに相手の人となりが分かればいいのになぁ」という点で、友人の言葉で本当にそうだなと思うものがありまして、勝手ながら紹介します。

 

例えば知り合った男の人が、お酒飲んだ時の悪癖は無いか、とか、人のことを見下さない人か、とか、私が本屋で長時間うろうろしても怒らない人か、とか、すぐわかればいいのにね。

 

……なんかこれだけ切り出すと物凄くセンチメンタルな言葉に見えますね。
それはそれとして、人なんて多様な面があるので、昨日は優しかった人が明日は誰かを踏みにじることもあるでしょう。
そうだとしても、せめてその人が「不条理に誰かを傷つけたりしない人か」といったことがもっと分かりやすくなれば、多くの人が過ごしやすい世の中になるのになぁと思うのです。
そんな仕組み、どうにかして作れないものかな。

 

昨日に続きふわふわしたことを書いてしまっているのですが、久々に現実から浮いたことを言葉にしてみようということで、ご容赦くださいませ。

*1:基本的には悪いと思いますが、断定することはできません。