canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

42年間、1つの会社で勤め上げるということ。

この三連休は、地元の岩手県に帰っております。
実は父親が今年還暦を迎えまして、そのお祝いをしたのです。
久々に祖母や兄夫婦も揃い、普段は行かないようなお店で美味しいご飯を食べて盛り上がりました。

 

父親は高校を卒業してすぐ就職したため、今年で勤続42年となるようです。
自分仕事歴のおよそ7倍。どうにも想像ができません。
決してやりたくて入った会社ではないようですが(そもそもそのような選択の概念は、当時はなかったようです)、その間転勤や単身赴任もありながら家も建て、病気も乗り越え、偉くはなりませんでしたが息子二人を育てました。
私としては一人の人間らしく、親に対する色々な思いはあれど、それ自体が本当に凄いことだと思いますし、有難いことだと思います。

 

さて、つい先日ハーバード・ビジネス・レビューの元編集長である岩佐さんが、下記のような記事を書かれていました。

 

覚悟をもって組織に居続ける人 | 岩佐 文夫 | note

 

自分はすでに転職をしています。
今の時点で「1社に勤め上げる」という経験は、もはや出来なくなりました。

 

世の中的にも「強い個人」が推奨され、どこででも生きていける力を身につける=転職を前提としたキャリアというのも一般的になりつつあります。
しかし、組織が安定的に継続し、魅力的であり続けるためには、当然ながら「その組織の発展を支え土台を維持していく人」の存在が不可欠です。
そういった人たちがいなければ「強い個人」が活躍できる場自体が消え去ってしまいます。
(もちろん、支えてくれる人を集めることも強さの1つだと思いますが。)

 

自分の父親がその覚悟を持って勤めていたかは気恥ずかしくて聞けませんが、少なくとも「家族を食べさせていかなければ」という責任感は持っていたはずです。
それを「親なら普通」と言ってしまうのは、あまりにも乱暴だと思います。
少なくとも自分は、自然に暮らしていてもその覚悟や責任感を持てないだろうと思うのです。

 

「変化が激しい時代だ。だからこそ自分のキャリアに柔軟性を持たせてどんな局面でも生き残れるようにすべきだ。」

 

そういった論は正しいと思う一方で、物事の一面しか切り取っていないとも感じます。
なぜなら、どんな局面でも生き残るための方法には「自分が生き残れる局面を作り出すこと」も含まれるからです。
それは、柔軟性とは対極にある力が必要だと思うのです。

 

岩佐さんの書かれている通り「自分以外の何かを背負って生きる尊さ」を忘れないこと。
個人として自分を扱いながら、同時に周囲の環境を含めて「自分」として生きることの深まりを大切にすること。
父親の42年間を思いながら、そんなことを考えました。