canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

ブラックボックス可視化ツールとしてのタロットカード

最近「手品を見たときに『タネは何だ!?俺は騙されないぞ!』とか考えずに『びっくりしたなー。凄いこと出来る人がいるんだなー』っていう風に思えるようになった人」の気持ちで生きられるようになってきました。
だいぶ丸くなってきて、地に足ついてる感じですね。良いんだか悪いんだか。

さて、そんな感じで、今回は書き散らかすようなブログを。

趣味と言えば読書と音楽鑑賞と献血くらいしかなかったんですけど、最近「タロットカード」というのが増えました。
いっつも悩んだ風のことばっか書いてるので「あー、ついに精神世界にハマっちゃったか。どんまい」と思われても何ともいえないんですけど、これが「ブラックボックスの可視化」という面でむちゃくちゃ実用的なんですよね。何を言っているかは、おいおい書いて参ります。

そもそも、最近も色々なこと(※)を考えていた結果、結局のところ人間にできるのは「ある刺激に対して、築き上げてきた価値観によって反応すること」でしかないということが分かってきたんですね。

※「人生に意味は無い(作り出すことはできる)が、生活には意味がある」とか「一切皆苦であるがゆえに苦しみを減らすのが仏教だが、実生活においては苦しみを避けることはできない」とか「生きることにおける矛盾は絶対に解消できない」とか「リアルさとは期待を裏切られることであり、全てが思い通りに行くなら生の実感はない」とか「ベーシックインカムによって人間の尊厳は崩壊するかもしれない」とかとか。

ただ、この「反応すること」というのが曲者で、反応しない=現状維持という反応が、人間めちゃくちゃ多いんですね。
(そんなことないよ!ちゃんと反応してるよ!という皆様、本当に色々な刺激に反応してますか?決まりきったパターンで対応しているだけになっていませんか?)
現状維持自体が悪いわけではありませんが、そればかりでは生活の張りも少なくなってしまいます。

そんなわけで、現状維持でないなら変化をさせるわけですが、ここに「どう行動するか?」という決断が生じるんですね。さぁ現状を変えよう。でも、どこを目指して?と。

ここで必要になってくるのが、自分の価値観ですね。どれだけロジックを組み立てても、それは過去の情報の寄せ集めであり、自分の決断の直接的な原因にはなりません。100%安全だからやるという人もいれば、それでは意外性が無くつまらないからやらない、という人もいます。個人の価値観というフィルターを通じて初めて、その人の行動は現実に現れてくるのです。
(もちろん、組織や社会の常識というフィルターも存在しますが、そのフィルターを個人が持っているかは別問題です。)

しかし当然、そのフィルターはよほど注意していない限り自然と通り抜けてしまいますし、余計な情報(論理や常識)が混ざりやすいため、自分の価値観がどのようなものかを知るのはとても難しいことです。

さて、ここでようやくタロットの話につながります。先ほど「人間は刺激に対して価値観に応じて反応する」と言いました。逆に言うと「ある刺激を与えて反応を見れば、その人の価値観を推測することができる」ということです。お金を貸して期限までに返ってこなければ、少なくとも約束に対する感度が低そうだということが分かります。
タロットカードのことをあまりご存知ない方でも、何となく沢山のカードがあって、1枚1枚に意味があるんだろうな~くらいのことはお分かりかと思います。要は刺激の束でして、どんなカードが出てくるかはまったくの偶然、そこに意味はありません。

しかし人間とは不思議なもので、意味がないと分かっていても、そこに勝手に意味を見出してしまいます。例えば、素敵な異性に出会いたいという想いを抱えている人が「恋人」のカードを引けばやったーと思いますし、「死神」のカードが出れば不吉・・・と思うかもしれません。どちらもたまたまであり、そこに意味はないのですが。

しかし、これこそが「ブラックボックスの可視化」につながります。ある刺激(出てきたカード)に対して何か反応する(感情が動く、嬉しい/嫌な結果だと思う)ということ自体が1つの結果であり、その間には必ずある価値観があります。そこに目を向ければ、本当はそのテーマに対して自分がどういうスタンスで向き合っているのかが分かるようになります。
上記の例で言えば、「死神」のカードが出たときに「絶対いや!」と思えば恋愛の優先度が非常に高いということですし、「まぁそんなもんか・・・」と思えば実は異性探しよりも大事なものがあるかもしれません。そんな風に反応をつぶさに観察することで、その人の内側に目を向けることができるのです。

なので、自分はタロットを明確に「占い」には使っていません。予言の自己成就という現象は理解しますが、未来を見通すというのは基本的に信じていません。

あくまでもタロットは「刺激の束」であり、その刺激―反応の間にある価値観をどこまで浮き彫りにできるか?が、自分にとってとても楽しい使い方だと思っています。言うなれば、ものすごくラフに認知療法をしてるみたいなものかもしれません。

ある物事に対して、自分がどんなスタンスで臨んでいるか?どんな先入観を持っているか?ということは、普通なかなか認識できません。それをかなりお手軽に、かつ趣味の範囲内で扱えるというのは、決断に伴うストレスを軽減するという意味で、非常に有益なことだなと感じるのでした。

まぁ、そのためには「タロットってなんか凄い胡散臭いし一切信用できない」という価値観を捨てないといけないのですが・・・その分の価値はあると思うんですよね。
もし面白そうという方がいれば、練習にお付き合いいただければと思いますので、ぜひお声掛けくださいまし。