「生きること自体がつらい」と言ったら驚かれたので。
どうやら、「生きるのがつらい」と思うことはあっても「人生すなわちつらい」と日頃から思っている人はそんなに多くないらしい。
それなら、なんで「人生すなわちつらい」になるのかを文章にしてみるのもまた一興と思った次第。世の中にはたくさんの人が、たくさんのことを考えて過ごしているからね。
その中の1つと思っていただければ。
▼人生すなわちつらい、の流れ
・基本的に人は、生まれたくて生まれてきたわけではない
・だからといって、死のうと思ってもなかなか死ねない
・生とは自分でどうにもできない(終わらせることしかできない)という点で本質的に理不尽である。
・理不尽を受け入れるのも1つ。だが、80年理不尽に耐え続けて生きるべきか。せめて、楽しさや幸福といったプラスの気持ちを持ちたいと願う。
・気晴らし的な楽しさや幸福はすぐに飽きる。本当に楽しさや幸福を得ようとするなら、何がしかの努力をしなければならない。
・努力とは常に今の自分を超えることである。それには変化に伴う苦痛が生じる。(たとえ後から振り返ったときに美談になるとしても)
・楽しさや幸福を得るためには苦痛を積極的に作り出す必要があるということになる。
・人生とは理不尽に耐え続けるか、さもなくば苦痛を積極的に作り出すことである。
多分、上記を変えるポイントは3点あって、
・自分の生は自分で変えられる、決して理不尽なものではないと信じる
・気晴らし的な楽しさや幸福をうまく使って、プラスの気持ちを増やす
・努力を苦痛と思わない仕組みをつくる
ぐらいができれば、今すぐにでも断ち切れるお話。
ただ、これを断ち切るには、現実的に何らかの習慣を作らないといけない。そしてその習慣は、自分ひとりで作るのはなかなか難しい。必ず、誰かからの影響が必要になる。
つまり、外部の影響によって自分が変わるという経験が必要になる。
賢者は歴史に学ぶという言葉があるが、今はあんまり信じていない。たぶん、その賢者も止むにやまれぬ思いがあって、救いを歴史に求めたんだろう。その思いは、必ず経験として立ち現れているに違いない。
経験値とはよくいったもので、経験から自分のパフォーマンスを向上させることの重要性はいかばかりか。それが身につくのは、いったいどのぐらいの年齢までなのか。
そんなことを考える月曜日の夜。大丈夫か、自分。