canno-shiのすこしみらいを考える

現在と過去を通じて少しだけ未来を考えるためのブログです。予測ではないですが、ありたい未来を考えていく気持ちです。

世の中の環境が変わったのだから、そろそろ「勉強ができる人」と「頭がいい人」をきちんと定義すべきだと思う。

1月も終わりに近づき、2月には大学入試の二次試験、3月には新卒採用のプレエントリー本格化、4月には新入社員の入社と、学生に関するイベントが目白押しになっています。 


近年、「いい大学に入っていい会社に入る」「高学歴は仕事ができる」といった学歴信仰はだいぶ崩れてきたように思います。
しかし、今でも学生は少しでも勉強ができるようになって高い偏差値の大学に入りたいし、企業の新卒採用担当者は学歴の高い優秀な学生を集めたい、という心情自体は広く残っていると感じます。

個人的には、こうした信仰や心情が早く消え去って、学生と企業の目線が近づいてほしいと考えています。

そこで今回は、その心情の根っこにあると考えられる「『勉強ができる人』と『頭がいい人』は、なんとなく違うことはわかるけど具体的にはわからないよね」というものについて、考えてみたいと思います。

結論から言うと、「勉強ができるための力」と「頭がいいための力」(日本語がおかしいですが、「頭がよくなるための力」とも異なるため、このまま進めさせてください。)は、まったく別のものです。

前者は「体系化された智恵から導かれた知識を身につけて、問いに対して適切に取り出す力」です。
一方後者は「身につけた知識を現実に即した形で体系化して、場に応じて適切に取り出す力」です。
(ここで「場」という言葉には、自分を取り巻く歴史や環境の全てを指す、かなり幅広い意味を持たせています。)

分かりやすく考えるために、突然ですがここに1つの図書館を登場させましょう。
それは、古めかしいコンクリート造りの図書館です。

館内には新しいものから古典と言われるものまで本がきっちりと並べられており、スタッフは来館者の求めに応じて、きちんと本を渡すことができます。

得意な要求は「数学の歴史について書かれた本がほしい」といったものです。100人に対して100回、適切な対応を取ることができます。
対して、苦手な要求は「数学についての面白い本がほしい」や「自分に合う本の探し方を教えてほしい」というものです。
「面白い」や「個人の趣味嗜好に合う」といった要求は、スタッフの能力を超えてしまっているのです。

これが「勉強ができる人」の比喩であることは、すぐにお分かりかと思います。 
では、果たしてこの図書館は、まったく来館者の要求に答えられないダメな図書館でしょうか?
もちろん、元々はそうではなかったのです。
現に、今でも一定の要求に対しては、きちんと対応ができます。

実は、来館者があれやこれやと勝手なことを言うようになったために、これまでの対応策では対処できなくなったというのが、この図書館の真実です。

これは、とても重要なポイントです。
「勉強ができる人」がまったくダメだというわけではなく、環境の変化により、一部の領域において、この力が通用しなくなってきたという方が適切なのです。
そしてその一部の領域こそが、多くの「勉強ができる人」が行く、いわゆるお仕事の道なのでさ。

では、一体なぜ、この力は通用しなくなってきたのでしょうか。
今一度、それぞれの定義を見てみましょう。

「勉強ができる力」とは
「体系化された智恵から導かれた知識を身につけて、問いに対して適切に取り出す力」です。
一方「頭がいいための力」とは
「身につけた知識を現実に即した形で体系化して、場に応じて適切に取り出す力」です。

ここで異なっているのは、

知識と体系化の方向性
現実を考慮しているか否か
目線を向けているのは問いか、場か

という3点です。
3つに分かれてはいますが、出てくる結論は1つです。
つまり、「その場にいる人間関係や利害関係を考慮しながら、現実に即した形で、自ら得た知識や経験を活用し体系化するサイクルを回すことで、頭がいい人になる」ということなのです。

「勉強ができる人」がやってしまう、もっとも悲惨なことは、「面白さ」や「個別の趣味嗜好」を理解しようと思って、古今東西ありとあらゆる面白いものや個人の趣味嗜好について調べ、それを知識として貯えることで、目的を達成したと思うことです。

感情や人の心理というものは、常に現実や場と結びついており、例外を生じさせます。その度に情報をアップデートしたとしても、いつまで経っても「勉強」は終わらず、新しい物事に対応できるようにはなりません。

そしてこの「新しい物事に対応する」という事象こそが、「頭がいい人」が多く求められるようになった、直接的な原因なのです。
この「体系化する力」は「コンセプチュアルスキル(概念化能力)」とも近いものですが、ただ全体構造を把握するだけではなく、いかに現実に紐づいているかが重要だという点は、もっと強調されて良いと思います。
そしてまた、巷で言われる「コミュニケーション力が重要」という理由も、ここから導くことが可能ではないでしょうか。

それでは、どうずれば知識は正しく体系化できるのか?
この問いに対する答えは、私はまだ持っていません。
今のところ言えるのは、該当分野に関する豊富な知識と経験、世の中の流れに関する理解、そして、人間についての深い洞察がなければこのことは達成できないという、世の中でありふれた内容になってしまいます。

これではつまらないので、最後に余談を1つ。
天才と言われる人に変な方が多いのも、同じ原因から導けるかもしれません。
つまり、変わり者であることが人間関係や利害関係のコストを下げ、実践と体系化のサイクルを高速化する戦略になっているという仮説です。
原因と結果はあべこべかもしれませんが、それなりに有効な視点かもしれません。